みんなの広場

学芸員の投稿
Update: 2014年03月10日
「ミュージパークフェスタ2014」が開催されました
8日、キックスのエントランスと3、4階の会場で、10時から開催され、我々滝畑班は、エントランスの関西サイクルスポーツセンター・花の文化園・滝畑ダム・滝畑レークパーク・長野公園さんなどのブースで、「滝畑に磨崖仏」の紙芝居を4回計画しました。
13~14時半までイベントホールで「原田伸郎トーク&ライブ」があり、お客さんの流れが途絶えるので、数名が集まれば実施することにしました。午前中は5名、午後は6名で対応しました。お客様は、午前中は1回で18名集まって、午後は7回実施して、77名が参加され、合計95名でした。6名の男子高校生と6名の女子中学生が参加していただけて良かったと思います。ちゃんとクイズにも参加して、イベントを楽しんでくれていました。
午後一番には、芝田市長もお見えになりました。今回は、多くの障がい者の方も参加されたり、インドネシアからの人もハイキングを聞きに来られたりしました。
和気あいあいの人たちで、皆さん「滝畑に磨崖仏あり」について、初めて聞くとのことでした。
ブースでは、ハイキングの話も出て、春のウォークの宣伝もできました。
午後には時間があったので、各ブースを回って、くろまろ館・花の文化園さんの見学し、交流できました。
帰りに郷土研究会の椋本会長さんにお会いして、滝畑の磨崖仏の写真から新しい発見を教えて頂きました。お地蔵さんは平安時代に造られた観心寺のお地蔵さんを参考にされたそうですが、聖観音菩薩は色々調べたが、現在は不明とのことでした。
特に夏目さんは、ご近所の蓮光寺のご住職と親交があり、色々相談されたそうです。
彫られたときの写真が残されていて、拡大したら、足場架台の下にノミ塚(仏様を彫られた時のノミを保管)が祀られていたそうです。はじめに発願されてから相当悩まれたそうです。
Written by マロンさん
学芸員の投稿
Update: 2014年03月10日
3月16日は大日寺の春祭りです。
3月16日は、大日寺の春祭りが予定されていています。2時から観音講の皆さんで御詠歌が行われて、3時から餅まきが行われます。景品がたくさんあって、餅まきは年代別に分けて行われるそうです。
餅まきが行われる大日寺跡は、今の大日寺元若宮の境内の一角にありました。東西十一間、南北九間半の敷地が残り、元は融通念仏宗中本山極楽寺の末寺で、大日堂が建っていましたが、明治初年廃寺となり、今は当時の庫裏と思われる建物を遺し、仏像を安置するに過ぎない無住の寺となっています。現在は、地区の会所的な機能を果たしています。観音講の皆さんがお守りされています。
建物の前は公園を兼ねた広場があります。本尊は大日如来の石仏で、脇仏は不動明王・阿弥陀如来像が祀られています。
現在の境内西南の石仏群の中に、1つの地蔵尊があります。昔は「ヤソ地蔵」(キリスト教と関係が深いということ)と呼ばれていました。この地蔵尊は、頭の位置がかなり下についています。
また、この大日寺の東には、善福寺というかなり大きなお寺がありました。寺の隣には星塚という塚があり、この塚に使用されていた石の一部が、近くの四辻の近くに置かれています。大時古墳は平成11年、ポンプ場の建設途中で発見されました。弥生時代中期(約2,000年前)から江戸時代中期の遺跡が重なって発見されました。弥生時代の土器片、古墳時代の古墳、奈良時代の甕、柱跡、鎌倉時代の陶磁器、室町時代の皿や建物跡などが見つかっています。江戸時代には畑として使用されていました。古墳は横穴式の石室で、基底部が残存している円墳でした。玄室の長さ約2.36m、幅約1.3m、羨道の長さ約0.88mです。現在はポンプ室の入口に復元されています。この辺りは大きな豪族が住んでいたと思われるところです。
大日寺へは河内長野駅で下車して、高野街道をたどって南下して15分ぐらいのところです。
Written by マロンさん