みんなの広場

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Update: 2014年04月14日
造幣局の桜の通り抜け
ご無沙汰しています、はんたろうです。

先日、造幣局の桜の通り抜けに行ってきました。
大阪市内の桜といえばやはりここが有名ですね。
日本さくらの会による「さくら百選」のひとつですし、
今年も131品種という種類の多さが見ごたえたっぷりです。

全国各地の由緒ある桜が多数あって、それぞれ思い入れを感じることが出来るかもしれません。
私は阪神・北摂で笹部新太郎氏の育成した「笹部桜」や京都・北野で「桜の平野神社」にあった平野妹背(ひらのいもせ)がここで見れることに嬉しさを感じます。
写真は今年の花である「松前琴糸桜(まつまえこといとざくら)」ですが、とても可憐な雰囲気ですね。他に珍しいものでは緑色の桜である、鬱金(うこん)、須磨浦普賢象(すまうらふげんぞう)、御衣黄(ぎょいこう)なんかも面白いです。

造幣局は昼間だけでなく、夜も9時まで開放しています。
桜の花をじっくりと見るなら昼、雰囲気を楽しむなら夜がいいかなと思います。
私はこれを見ないと大阪の春が来た気がしないので、毎年通ってしまいます。
17日木曜日までの開催とのことですが、今年はタイミング的に最後まで見ごろが続くと思いますのでお奨めです。
Written by はんたろう
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Update: 2014年04月14日
金剛寺の御影供の案内
本日はくろまろ館へ、ガイドに出かけました。入り口には「正御影供(しょうみえいく)」の案内のブースが出来ていました。正御影供は、平安時代末の1172年(承安2年)から始められた、弘法大師の命日の法要です。金剛寺では4月21日に行われます。この時に「百味飲食(ひゃくみのおんじき)」と呼ばれる、山・海・里・川で採れる、様々なお供え物が造られます。これは始めに金堂に供えられ、次に御影堂に移されます。山伏が先導する行列が、信徒→遍照会→奉賛会→金剛婦人会→御詠歌隊→稚児→職衆→大導師の順で金堂に入り、法要が始まります。僧の読経の半ばから、金堂に供えられた、百味食飲を御影堂へ移す「奠供(てんぐ)」が行われます。奠供とは、何人かの人が供物を、手から手に渡して、お供えをする事を言います。奠供を行う人は「奠供さん」と呼ばれ、天野の里の人達が務めます。黒の裃と袴を身に着け、供物に息がかからない様に、白い布で口と鼻を覆って行います。奠供さんは、金堂→金堂の階段→前庭→石段→石段上の庭→廊下→木の階段→御影堂の順に並び、供物を押し頂いて、手渡しで送ります。お供えの主体となる、糯米を練って丸く盛り上げた、大仏供えだけは、輿に載せられて金堂へ入った後、御影堂へ運ばれます。
くろまろ館ではビデオテープで、昨年の御影供の様子が、放映されています。天野の里の人達の、餅つきから、百味飲食の作業風景が見られます。先日の堀智範師のお話では、供物にも最近は、バナナやアスパラやパンなどが使われていて、弘法大師も、さぞ驚かれているだろうと話されていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月14日
狭山池博物館の一日(4月9日)
9日は朝から滝畑で「さくらの会」の皆さんを、パフォーマンスで応対して、心から喜んでもらいました。食事後、西川さんと狭山池博物館へ行きました。先日下見に来られた時に、天野街道を使って千代田駅から寺ヶ池を経由し、小山田で桃の花を見学する狭山池博物館へのコースを、ご一緒しました。今回は「さくらの会」様が滝畑に来られたので、そちらを優先しました。
本日は中高年ハイキングクラブの方20名が、天野街道を使って、河内長野市の千代田駅を午前中スタートされて、2時頃に博物館へ到着されるとの事で、最終の打ち上げに参加の為に出かけました。10km弱のコースでしたが、河内長野方面からは上り坂のコースで、30分ほど遅れての到着でした。高齢化と共にハイキングも、段々脚力の衰えが出て来るようで、到着時に休息を要した方がおられました。
1時間ほど館内の案内を受けたあと、打ち上げをしました。先ずはビールで喉を潤して、5種類ほどのあてを注文して、反省会が始まりました。そこで河内を中心にお酒の話に花が咲きました。最近は国酒と言う事で、日本酒で乾杯しようという自治体があり、銘酒の売り上げが上がる事を、話されていました。西條酒造にはピーターさんと言う、外国人の杜氏さんがいるとの話になり、地元にいるが知らない事が、あると痛感しました。金剛駅への帰り道、天野川の河口でアオサギが、羽を休めてじっとしていました。博物館で台湾の女性が、樋管が重文に登録されたことに対しての、お祝いメッセージを書いてくれました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月11日
市民ミュージカルで祝う河内長野市制施行60周年
 河内長野市は、4月1日に市制施行60周年を迎えました。これを祝うために今後1年間、さまざまな行事が「河内長野ルネッサンス60」と称して実施されます。この1番目として、4月6日に市立文化会館で市制施行60周年の記念式典が、市民約1000人参列して行われました。
 式典は2部構成で、1部は恒例の式典で国歌斉唱・市民憲章朗読にはじまり5代目市長の式辞、市議会議長の挨拶、市政功労の個人375人、団体88、60周年事業提案者への感謝状の贈呈(代表者)、来賓祝辞と来賓紹介、祝電の披露、国際姉妹都市の米国カーメル市からのビデオメッセージの披露がありました。
 第2部は、オリジナル・ミュージカル「河内長野ルネッサンス60・わがまち」の上演がありました。我が国初めての遣隋使となった本市出身とされる高向玄理の人生やススキの名所・岩湧山、弘法大師ゆかりの金剛寺、楠木正成ゆかりの観心寺など豊かな自然と歴史の映像をスクリーンに上映し、「なごり雪」などの曲を歌って、春夏秋冬を歌と踊りで表現するミュージカルを、市内の吹奏楽団や合唱団、ダンスグループ、ミュージカルスクールなどの小学生から70歳代までの市民ら約250人が熱演しました。フィナーレにロックバンド「ゴダイゴ」のタケカワユキヒデさんが作った曲「河内長野ええとこや」を声高らかに歌い上げました(画像は踊りと歌で熱演する市民ミュージカル)。
Written by 岩湧太郎
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Update: 2014年04月11日
「さくらの会」春の遠足
9日「さくらの会」の皆さん45名が、滝畑へ春の遠足で来られ、ガイド倶楽部滝畑班が12名で対応しました。女性陣が手作りの小旗や、速水さんが手作りされた幟(のぼり)が、二本建てられて、バスを迎えました。丁度、桜の花も山桜が満開で、16度の気温で快晴となりました。レークパークの会場には、地元の谷さんやご婦人方も来て頂けました。演奏会は桜の花を背景に、全員の合奏で「ミカンの花咲く丘」からテーマソングの「桜」まで10曲が演奏されました。仲間の参加者からは、知っている曲で懐かしく、音色に聞きほれて、涙が出たと、こっそり話してくれました。終了後、木材ストーブがたかれた会館内に移動して、「滝畑に磨崖仏あり」の紙芝居を実演しましたが、井上・清水先生がサプライズで、曲を演奏され、素晴らしい演奏で皆さん感激されました。その後「さくらの会」からの、お土産の抽選会が行われました。最後は津野さんによる「タラヨウの葉」のはがきの作製に取り組まれ、出来た物は切手をはり、滝畑の消印を押して、発送する事にしました。本日のメインの、河内長野のお花見弁当が配られて、皆さん思い思いに外に出て、食事タイムとなりました。参加者の中には、自慢のお酒を持参され、一升瓶でコップに注がれて、お花見を楽しまれていました。ダムサイトのバス乗り場には、ガイドクラブ員と「さくらの会」のお別れイベントが始まり、会長が定例会で帰られたので、締めの挨拶を引き受けました。最後に三輪さんから滝畑の空気を持って帰って下さいと、綺麗な小箱が皆さんに配られました。シャボン玉が飛ぶ中、再会を約束してお別れしました。あっという間に時間が経ち、次の堺の大仙公園へと向かわれ、車中でガイド倶楽部からの、お土産の「半夏生餅」は、柔らかく美味しかったと、好評だったそうです。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月09日
日野の半夏生餅
4月9日に行われる「さくらの会」の、バスツアーの会場確認に行きました。帰りにタラヨウの葉を20枚位採取して、日野の久保健商店(0721-62-2766)へ向かいました。今回のバスツアーは、滝畑班の松本さんが担当して、参加の皆さんに地元の「半夏生餅」を、食べて頂きたいとの考えで、注文を兼ねて打ち合わせに、渡邊拠点長と出かけました。久保健商店のおかみさんにお話を聞きました。『滝畑や日野の伝統食で、「半夏生(はげしょう)」とは、滝畑では夏至から数えて11日目の、7月2日頃から、七夕頃までの5日間を指して言います。昔の農家にとっては、田植えの目安と言われ、夏至が済んでから、半夏生までに田植えを終わらせるのが、好ましいと言われてます。この頃に田植えが無事に終わった農家では、感謝を込めて糯米(もち米)と小麦で、こしらえた餅を食べたそうです。』と歴史を話して貰いました。この餅は、シコシコとした食感が特徴で、歯切れよく、硬く成りにくい性質で、黄粉をまぶして食べるので、栄養価の高い物です。久保健商店では、奥様の手作りで、4/1~10/1までの期間で、生産されています。1日の生産量は400g/箱で15パック位だそうです。小麦は奈良で特別にひいて貰い、黄粉も特別製の物だそうです。最近では滝畑でも高齢化が進んでいて、子供さんたちが、孫を連れて里帰りした時のお土産に、注文が出ているそうです。本日はイベントに使用した物を、短冊形に切って、冷凍した物を油で揚げて、砂糖醤油と黄粉で二種類作って、試食させて頂きました。砂糖醤油の物は甘辛く香ばしい物で、黄粉の物は黄粉の芳しい香の良い、さっぱりした味でした。揚げなくても電子レンジで、チンしても良いそうです。イベントの時に、トルコ人の方が来られて、揚げて黄粉にまぶした物は、トルコでも売れそうだと話されたそうです。先人の残した「知恵の餅」と言われる物です。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月09日
狭山池博物館の一日(4月4日)
本日予定外に狭山池博物館へ出かけた。朝から曇っていたのが、狭山市駅に着いた時から小雨となっていました。既に泉北からの老齢の男性が待っておられた。ガイドの声を掛けたら「お願いします」との話で、早速案内した。何回か寄せて貰っても、歴史的な背景が理解できなかったが、今回クリアーしたと言って頂けた。その後「登美ヶ丘の婦人会の方(13名)が来られた。」と、受付から連絡で行って見たら、自由見学中で時間が無いと、ガイドは辞退された。少しお客さんが途切れていた所に、台湾からの姉妹とそのフィアンセが来られた。日本語が解らないとの事で、音声ガイドを推薦して、案内して一緒に回った。感じの良い人たちであり、台北からの、建築家とデザイナーとエンジニアの人達でした。博物館の喫茶店で、3月に娘さんと台湾に行かれた浜地さんを交えて、携帯電話で漢字を書いたりして、台湾の話が出来ました。皆さんは7日間の旅行で、京都から大阪へ来られて、6日に帰国するとの話でした。皆さんと話を楽しんでいた時に、「愛のケア工房はるか」の皆さんが20名で見学に来られ、既に終了して出口へ向かわれる時に出会いました。紙芝居の話をしたら、ぜひ見たいとの希望が在り、実演する事になった。10分間の実演でしたが、良く聞いて頂けて、面白い所にはすばやく反応して貰えて、演じて居て楽しい時間でした。終わったら拍手を頂けた。その後「ディサービス笑楽」の5名が来られたので、ガイドをして紙芝居の時間を訪ねたら、時間がないとの事で辞めました。一緒に回っている時に、受付からガイドの依頼がある、との事で取って返してガイドをした。古代史研究会の6名が来られて、話が聞きたいとの事で、説明を行いました。指導の方が、一応勉強したが、現物を見て理解が出来なかったとの事で、解る範囲で説明したら、理解できたと言って頂きほっとした。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月09日
河内長野市制施行60周年記念式典
6日ラブリーホールで10時から開催されました。司会は嶋田生涯学習アドバイザーが担当され、最初に君が代の斉唱が行われ、久しぶりに立って、歌ったので気分が高揚しました。演壇の上には、芝田市長・高岡市会議長を始め、市会議員を含めて19名と、反対側の席には来賓として、大阪府知事代理の植田副知事と西野府会議員他、市町村長の18名が参加されました。市長の式辞では『本市は、この4月に市制施行60周年を迎えます。人生に例えると還暦となる年であり、第2の人生のスタートを祝う節目にあたります。本市が今まで歩んできた歴史を振り返るとともに、未来へつなげていく年として、新たな河内長野市の第一歩を踏み出してまいります。河内長野市は、昭和29年4月1日、長野町、三日市村、高向村、天見村、加賀田村、川上村が合併して、大阪府内18番目の市制を施行しました。人口3万1千人の河内長野市が誕生し、二度に渡る財政危機を乗り越えて、高度成長を背景に基盤整備を行い、11万1千人の成熟した都市へ向かって居ます。地域の絆に基づき、より良い町造りに邁進します。本市の歩みの中で、個人と団体の皆さんに感謝樹を贈呈いたします。』と結ばれました。その後、高岡市会議長の挨拶と来賓代表の植田副知事・西野府会議員の挨拶が行われ、感謝状は個人・団体代表の各代表二人に、市長から感謝状が贈られました。かわちながの観光ボランティア倶楽部も10周年を迎えて表彰され、藤本会長・渡邊総務部長が出席されました。その後、国際姉妹都市のカーメル市長からビデオレターが送られて『平成4年4月に姉妹都市の締結後、お互いに交流が出来て、20周年を迎え、昔は貧困層が多かったが、最近の調査では、アメリカの中で、最も住みやすい町のナンバーワンになった。文化・芸能・教育等の面で交流して、私も数年前に、河内長野市を訪問して、感動を受けた。』と話されていました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月07日
滝畑四十八滝と言われるが
今回は前日までの雨で、水量が多く、普段は見られない様な滝まで流れて居ました。
キャンプ場入り口の稚児の滝は、普段はちょろちょろですが、今日は凄い流量が流れ素晴らしい景色でした。落差は約20mの細長い滝ですが、情緒豊かな滝でした。
荒滝の上流部です。現在はコマーシャルで有名になった光滝には、道路が崩壊し入れません。
荒滝も下からの通路の橋の補修が済んだのか不明ですが、やっと蔵王峠越えの道が通行解除されたので上流から確認したら、旧千早第三発電所への水路が見えて、素晴らしい眺めでした。
今回上の茶屋橋の近くにあると言われていた、尼滝を発見しました。水量があり五段になって流れ、素晴らしい滝でした。今回は石川の源流に沿って登りました。
Written by マロンさん
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Update: 2014年04月07日
蔵王峠越えのハイキングへの挑戦
4月1日滝畑班では新コースの研修として「蔵王峠越え」に挑戦しました。渡邊拠点長を始め、松田・速水・矢野と私の5名で、研修を行いました。昨日の肌寒さが一転して快晴で、滝畑でも11度の気温でした。10時に滝畑の湖畔観光のレストラン前に、駐車して出発しました。この道は戊辰戦争の発端と成った鳥羽伏見の戦いで敗れた、会津兵が1月10日~11日にかけて、1858人が紀州加太を目指して進んだ道です。最終的には幕府軍としては5712人通過した様です。最近は清風学園が毎年3月中旬に、大阪の天王寺から高野山までの、約100kmの道のりを300名が、約30時間かけて歩くと言う、イベントが行われている所です。現在は堺・かつらぎ線として府道62号線が走っています。キャンプ場入り口の稚児の滝は、普段はちょろちょろですが、今日は凄い流量が流れ素晴らしい景色でした。落差は約20mの細長い滝ですが、情緒豊かな滝でした。やっと蔵王峠越えの道が、通行する事ができたので、荒滝を上流から確認したところ、旧千早第三発電所への水路が見えて、素晴らしい眺めでした。速水さんが距離の計測器を持参して、ポイント毎に詳しく距離を計測してくれました。レストランから堀越癪観音までは7062mでした。2時間20分の距離です。帰りは下り坂でしたので、丁度1時間55分でした。名も無い様な滝が、沢山流れていて良かったです。出合橋から地蔵橋までの10本の橋を渡る事になっています。それぞれ昭和43年から昭和58年に掛けて架けられた橋です。蔵王峠の標高は500mで和歌山県との境界にあり、突き当りを左折するとかつらぎ町で、右折すると堀越観音への道です。葛城蔵王権現にお参りして、堀越癪観音に向かいました。ここから先は和歌山県であり、ここまでの紹介とします。今回は滝と62号線の復旧の状況を紹介しました。
Written by マロンさん