学芸員レポート 「大阪再発見バスツアー」

●聖徳太子ゆかりの地をめぐる 【レポーター:サマンサさん】

 大阪ミュージアムの記事を見て考えた。

近すぎて通り過ぎていた大阪。
遠すぎて通ろうともしていなかった大阪。

生まれ育った大阪の再発見、新発見する事はとても新鮮で楽しい事であり、それにより愛着を感じ、優しい気持ちにもなれそうである。しかし学芸員と言う言葉は自分には荷が重すぎたが、身近な大阪紹介でいいようなので私でもできるかなと応募した。
 

 集合地の藤井寺駅。 このチャンスがなかったら、きっと降り立つことはなかっただろう駅。それだけでもラッキーな体験の始まりであった。バスは大阪商工会議所と大阪ミュージアムの各ご担当者、 トータルガイドをして下さる近つ飛鳥博物館学芸課長、そして29名の参加者を乗せて出発。

 バスの移動中も左右に点在する古墳の説明を受け、緑の固まりが見えるたび、歴史のびっくり箱のような街に驚く。 ここが大阪であると言う事を忘れてしまう。

 古代寺院は奈良が70箇所 大阪には100箇所も あり、それだけでも新鮮な驚きであった。 特に奈良に通じる石川流域の南大阪には多くの寺 院が集まっている説明を受け古代人達の生活の息吹が伝わってくるようで、一生懸命生活していた大阪の古代人達に親愛の情が沸いてくる。

また太子君の説明をうけ、太子町が聖徳太子と関 わりのある町と初めて知った私であった。

 バスは初めの目的地、野中寺に到着。ここは聖徳太子建立48寺院の一つとされ、太子の命を受けた 蘇我馬子が開基とされる。ボランティアガイドの方から塔跡などの説明を受けた中で昭和60年の発掘調査で塔が金堂を向いていた事や、 650年頃には塔が建立していた事までわかる事に驚く。

 渡来人の船氏が護持している足音が響いてくるような、静かな境内であった。
重要文化財の金銅弥勒菩薩像は毎月18日が拝観日であるが、ご住職のご配慮で本日5月30日に拝観できた。 椅坐して左足を蓮の上に下ろし、右足を上げて左膝上に置き右手で頬づえを付いて瞑想する半跏思惟像。 重要文化財の菩薩様をガラス越しではなく、手の届く近さで、同じ目の高さで、 同じ空気を吸って拝観できた。

 

野中寺
  金銅弥勒菩薩像
 

 金銅像の台座の框には造像記の銘文がありご住職さんが、ゆっくり見てください!と気軽に言われるも、 重要文化財の前で倒れたりしないか(笑)身近に見るほうが緊張してしまい、しっかり正座して、拝見させてもらう。

 南河内は、開発が遅れているや、ガラが悪いとの評判であるが、かつては歴史の表舞台であり文化財の宝庫であったというご住職さんの 話に笑ったり、納得したり。

また細部にわたっての、ご参加者の鋭い質問とご住職の回答に弥勒菩薩像の見方を再発見できた。
未知の世界のものを見るときは、このようなツアーはとても勉強になると感じた。

 

南大門

聖徳太子御廟
  叡福寺  
 

 バスに乗り込み、次の目的地、叡福寺へ
ここも大阪に住んでいながら全く知らなかった歴史が隠されていた。

 このお寺もボランティアガイドの方とご住職さんが説明してくださる。

法隆寺の南大門を模して作った南大門 南大門から真っ直ぐ奥に聖徳太子御廟がある。

このお寺は1574年の織田信長の石山本願寺攻めの兵火で大きな被害を受け、 古代の建物は残っておらず、後に再建されたそうである。
ご住職の兵火とお寺のお話はとても興味深いものであった。


金堂
  多宝塔 聖霊殿擬宝珠
 

 太子建立の四天王寺や、下の太子の大聖勝軍寺、 中の太子の野中寺とともに、太子信仰の霊場として栄えたそうである。

南大門を入って直ぐ左手には重要文化財の多宝塔その北には金堂、そのまた北には重要文化財の聖霊殿がある。 高欄の擬宝珠には刻銘がある。
これも説明を受けなければ、間違いなく通り過ぎていくところである。

ご本尊は聖徳太子十六歳の植髪の等身像と言われているが、残念ながら見ることは出来なかった。前には16歳像の絵が置かれていたのでご本尊を想像しながら見る。

 

御廟の木彫りの額

塔跡
    弘法大師像
 
二天門を抜けるといよいよ聖徳太子御廟へ
廟の正面、扉の上には阿弥陀三尊のご来迎をあらわした木彫りの額があり三骨一廟を表しているという。

聖徳太子がこの地に廟を造ることを決め、 推古28年(620年)に墓所を造営したといわれている。 翌年、太子の生母間人(はしひと)皇后が死去したのでこの墓に葬り、 更に推古30年(622年)には太子と妃の膳手(かしわで)姫とが同時期に亡くなり、この同じ墓に葬られ推古天皇が建立されたとされている。
結果、廟は三骨一廟の陵墓になった。

御廟を取り巻く石列の結界石の外側は 江戸中期の享保年間に建立され三部経が刻まれている。 内側は弘法大師の一夜の作ではあるが、時ならず鶏が鳴いたので完成することが出来ず、 未完成であるらしい。 その伝説から古来、太子の集落では鶏を飼わなかったと云われている。
 
太子廟の七不思議

一、樹木が生い茂った御廟内には、松や笹が生えない。

二、鳥が巣を造らない。

三、大雨が降っても御廟の土が崩れない。

四、御廟を取り巻く結界石は何度数えても数が合わない。

五、メノウ石に太子の御記文が彫られたものが、太子の予言どおりに死後430年後(1054年)に発見された。

六、御廟の西にあるクスノキは、母后を葬送したときに、太子自らがかついだ棺の轅(ながえ)を挿したものが芽をふき茂った。

七、894年、法隆寺の康仁大徳が御廟内を拝見した時、太子の着衣は朽ちていたが、その遺骸は生きているように温かくやわらかだった。

 太子廟の七不思議はなかなか興味を引くものである。

廟窟偈碑は20句の霊碑で聖徳太子の遺書として流布された

 

御廟を取り巻く石列
 
  鐘楼
 
 陵墓は宮内庁が管轄しているので触れないが図面などをみて、三骨一廟の陵墓内部を研究されているらしい。

鐘楼に向かう。ドアを開けて頂き、下から鐘を見ることができた。
ボランティアガイドの方が大晦日に除夜の鐘をつきに来られる入り口とは違うドアを開けていただいたらしい。

このお寺は聖徳太子の徳を慕い、最澄、空海(弘法大師)、
親鸞、日蓮他高僧が訪れた由緒あるお寺だそうだ。

ボランティアガイドさんも入った事のない聖域を
今日はご住職さんは鍵を持って、開けてくださり、中に入れて下さった。
ドアを開けられるご住職さんを見るたびに、貴重な体験をさせて貰ってると思った。
 
 聖霊殿始めとする殿内は、薄暗いにもかかわらず、
当たり前なのであろうが、床も掃除が行き届き、空気も澱んでなく、掃除の苦手な私は管理力の高さを感じた。

また境内に落ちている松の三葉は珍しく、財布に入れておくとお金が減らないという
ご住職の説明で一斉に地面を仰ぎ松葉拾いに乗り出す。
必死で捜し財布に入れるも、入っているお金がないので
出て行くお金もない私の財布ではあったが…

ここで雨と雷鳴にあったが、皆とても熱心にお話を聞いていた。
一時間では到底回れなく、もっとお話を聞きたいお寺であった。
 

聖徳太子墓
十七条憲法第一条    
 
 次は大阪府立近つ飛鳥博物館へ
車中でガイドをしてくださっている学芸課長の所属されてる博物館である。
一須加古墳群を保存し、親しむ場として1986年に設置された 「近つ飛鳥風土記の丘」。その後、風土記の丘に接して、 1994年に「近つ飛鳥博物館」が設置されたそうである。

博物館のネーミングにあたり、当初、河内博物館との意見があるも 河内のイメージが柄が悪いとの意見があり 近つ飛鳥博物館になったらしい。
「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、 「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさすそうだ。
北半分が生息地の私にとり、飛鳥が付いたら、 奈良と思ってしまっていたのが、ここでは違うとわかった。

近つ飛鳥博物館内  
 
 この博物館の構造はコンクリートの打ちっぱなしのようで曲線も生かされた 一風変わった建物である。
開放感のある吹き抜けを上手く使った展示物の数々。 安藤忠雄氏による建築だそうだ。
中身より安藤忠雄氏設計による建物を見に来られる人も多いらしい。 閉館時間に来られた韓国からの建築物見学者がこの建物の前で夜を明かして開館を待つお話を聞いて安藤建築の偉大さを改めて感じた。暗くてわかりにくいが、天井は黄泉の国を表現している。
   この石棺は6世紀末の形式で
竜山石で復元
 
 
 今回横穴式石室と竪穴式石室の違いも詳しくわかった。
年代別に並べられた石棺が段々簡素になっていくのも興味深いものがある。

棺、土器、黄泉のアクセサリー、武器や武具、埴輪など、沢山の展示物を見て、 はるか彼方を生きていた人の思いと英知を思う。
反対に、はるか彼方の道具を見て、今を生きる人達が調査、発掘、復元、研究されるのも人の思いと英知を感じる。

近つ飛鳥風土記の丘の横穴式石室では家型石棺が置かれていた。
復元とはいえ石棺を身近に見たことがなかったので、 この風土記の丘は、不思議な空間であった。
 
 
 建物の前ではボランティアの方が名産品のお店を出しておられた南河内の特産品であった。
おいしそうなお酒もあったが、荷物も重くなるので、 この地の名産のいちじくを使ったソースを買った。
このソース、スパイシーでとても美味しく、 直ぐになくなってしまった。
大阪産にこんな美味しいソースがあったなんて全く知らなかった。
 
 
 
 最後は道の駅へ!
地元の特産品を買うことができる。
名産の泉州の水ナスや野菜果物などを買う
 

 そしてバスはツアー解散地古市駅へ

今回のバスツアーを通じて多くを発見させていただいた。
私は一時期、山岸 凉子さんの「日出処の天子」を読んで聖徳太子に興味を持っていた。
摩訶不思議な厩戸皇子が登場するお話である。
私の中の聖徳太子は斑鳩宮で終わっていた。
そんな私の思いに叡福寺のご廟は衝撃的な新発見であった。

またご一緒させて頂いた大阪検定受験者の方々の熱心さと前向きさも私の栄養剤となった。
私自身、昨年末、お笑いタレント司会の某テレビ局のクイズ大阪No.1決定戦というのに参加した。
大阪の問題はかなり自信があった!はずであった。
なんといっても大阪生まれ!大阪育ち!!それに生まれてから半世紀を過ぎる年季者!!!
ただそれだけで…
しかし私の正答率は約6割であり、他府県出身の友人と同じであり愕然とした。
その番組はお笑いクイズも含めていたのでそれがなかったら壊滅状態であっただろう。
大阪の奥深さを痛感し、勉強して、大阪検定には挑戦するつもりでいたが、 まだまだ勉強不足で今回は見送りとなった。

 また数年前、私は子どもと貝塚に発掘体験に行った時に、やっと見つけた貝の化石を力を入れすぎ掘り出した。
手にしたときには割れていて、発掘の難しさを、体験の初期段階で味わった。
その思いがあるので、今日見た展示物の発掘調査の方々のご苦労を思う。
そして重要文化財などを擁する寺院の管理の大変さも感じた。

 また、河内の柄の悪いイメージの話を今回数度聞いたが、 私的には、きっと、大阪弁とは違う方言が、きつく感じさせているのでは?と感じる。
石川流域の奈良に住んでいた友達の奈良弁もきつかったので石川流域の奈良と南河内の方言は近いのかなと勝手に思う。

 今日博物館で見た模型と教科書でしか知らない大仙古墳(仁徳天皇稜)の本物も見たいと思った。
学芸課長が一番綺麗に見えるといわれた堺市役所の上から是非眺めたい。

 素人が古墳〜古代寺院めぐりをしても、今日のように沢山の思いを感じたり、得る事はなかっただろう。
有識者の方々の生の声の説明は、興味を持たせてくれ、世界を膨らませてくれた。
一人では発見できない大阪を、またこのような機会があれば、ツアーに参加して、知らない大阪の顔と出会いたい。

 古墳時代から古代寺院まで、はるか彼方を生きてきた先人の生活を感じた一日はとても新鮮であった。
今日、私の大阪再発見経験値にポイントが加算された。


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